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中村 忠(なかむら ただし、1942年2月22日 - )
世界誠道空手道連盟誠道塾会長である。
1942年4月22日、樺太真岡郡真岡町で生まれる。
東京の椎名町に移住後、長崎興業会館で宮城敬(剛柔流始祖である宮城長順の子息)
が開く空手教室に通ったことが空手との出会いであった。
中学、高校時代は並行して剣道を学び、二段位を得る。
中学二年の頃に大山道場に入門。16歳で初段を允許される。
道場や米軍の座間キャンプで空手の指導を行う。
日本大学在籍中、理工学部空手選手権に出場し、個人戦で優勝する。
1964年、タイのルンピニースタジアムで行われた空手とムエタイによる
異種格闘技戦に、
黒崎健時、藤平昭雄(大沢昇)と共に出場し、先鋒で勝利する。
同年、国際空手道連盟極真会館が正式発足し、初代正師範代となる。
1965年10月15日、百人組手を完遂(現在は公式記録から削除)。
1966年に渡米し、ブルックリンに道場を開く。
翌年渡米してきた大山茂と共に、各地で演舞会を開催。
特に真剣白刃取りや大氷柱割りが好評を博す。
1968年に妻の明美と結婚。仲人は大山倍達。
1971年に極真会館北米本部を設置し、初代北米委員長に就任。
1976年、理想の空手道を求めて極真会館を脱退し、
世界誠道空手道連盟誠道塾を設立。
本部をニューヨークのマンハッタンに置く。
極真会館は中村を破門処分として扱った。
1977年、駐車場で何者かに銃撃されるが、幸いにも軽傷。
極真会館脱退後は、敢えて日本の空手界とは距離を置いた。
そのため、日本のマスメディアからは長年姿を消していたが、
80年代後半からは著作の発表や取材に応じる機会が増えている。
極真会館をはじめ、そこから派生したフルコンタクト空手の各流派は、
昇級に応じて帯色が青、黄、緑、茶のように変化するが、
これは昇級の結果を分かりやすくし、
道場生のモチベーションを高めようとした中村の発案である。
極真会館脱退以前、大山からは帰国し副館長になるよう要請があったが、
中村はこれを固辞した。
極真空手の中でも有名だった中村忠氏が氷柱割を披露しています。私の記憶が正しければその隣は中村忠さんのご長男さんです。
中村忠氏と大山茂氏両氏による豪華演武披露。これは中々見ることができませんね。またこの中で両氏は得意だった「真剣白刃取り」を実践。この豪華演舞は今見ても緊張感があります!(汗)今の極真では誰もやらないんだろうな〜。すごすぎ!ちなみにこの後大山茂氏は決勝戦の主審を務めてます。(盧山初雄VS山崎照朝)